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【投稿No.10】江戸時代にもあった読書会をチラ見・To・The・Future!

目次

はじめに

読書会を始めるにあたって、
読書会の源流はなんだろうか?

と調べた時期がありました。
その時に得た雑学に近い情報ですが、

なんとここ東京に関係していたので
記念すべき10個目の記事として
記したいと思います(∩´∀`)∩

当時、日本の識字率は同時代のロンドンやパリを遥かに凌ぐ世界最高水準(江戸の成人男性で70%超とも)でしたが、

1. 日本の読書会の源流

江戸時代ですが、世界でも名誉な記録を持っていて
実は、当時では世界一の識字率を誇ったと言われています。

そんな識字率の高さは何によってもたらされたのか。それは「教育」と「読書」でした。

当時の教育は、世襲身分社会で、
いわゆる現代のような義務教育的な学校で
きちんと教養を学べるのは武士を中心とした
上流階級のみでした。

じゃあ、下々の平民は学ぶ場が無かった。
といえばそんなこともなく、

当時から現代のフリースクールに
あたる「寺子屋」と呼ばれる私営の学び場は
全国に1万5,000〜2万箇所もあったとされ、

いわゆる平民の子供たちはそこで
読み書きを学んでいたとされています。

寺子屋ですが、先生(お師匠さん)たちの多くは、現役の町医者、僧侶、あるいは引退した役人などで、ほとんどボランティア(または格安の謝礼)で教えていました。

実は現代の読書会の基となったものは
江戸時代にまで遡ると言われています。

こうした歴史的な背景を知ると、「本を読む」「学ぶ」ということのハードルが少し下がって、もっと純粋に楽しんでいいんだな、と思えてきますよね。

字が読めないと「恥」という空気感

江戸時代の高い識字率を支えたのは
寺子屋の存在でした。寺子屋とは
現代でいうフリースクールのようなもので、

当時の教育は基本的には武士階級以上のもので
門戸は閉ざされていました。

そこで、学校に行かない。あるいは行けない
こどもたちは地域のボランティアで営まれている
寺子屋で学問や文字などを学んだそうです。

しかし、強制でもないのになぜそこまで
寺子屋に通うこども達が多かったのでしょうか?

それは、江戸時代の中期以降、都市部では
「本を読まないと商売で騙されるし格好も悪い」という空気感が生まれていたためでした。

争いの時代も終わりを告げて平和な時代となり
大衆も趣味が持てる余裕が生まれたのが
この江戸時代です。

相撲や歌舞伎、落語に瓦版(ニュース)
滑稽本(お笑い小説)などが大流行り、

さまざまな知的文化が花開きましたが、
ゆえにある程度の教養がないと文化を楽しめない
時代にもなったのです。

そのため、親たちは
「自分の子どもが流行りに乗れるように。
騙されたり、恥ずかしい思いをしないように。」

と、進んで寺子屋へ通わせ、
家でも本を読ませていました。

子を想うからこその親心が
実は高い識字率を維持していたのかもしれませんね

①意味は後回し!「素読(そどく)」

では寺子屋ではどのような勉強方法を
行っていたのでしょうか。

ここでも読書はキーとなってきます。

江戸時代の勉強の基本中の基本が
この「素読」です。

これは、『論語』などの高度な漢文を、
「意味はまったく教えずに、
ただひたすら声に出してリズムで丸暗記する」
という方法です。

言ってしまえば丸暗記という学習方法です。
「意味が分からないのに覚える意味があるの?」

と、そう思うことでしょうが、
これはこれである一定の効果がありました。

みなさんも九九を数字の理解もつかないままに
丸暗記した方もいると思いますが

それと同じです。
とりあえず呪文のように唱えれば
意味は分からないが答えはできる。

そういう理屈の学習方法で、意味は知りたい人が
大きくなってから後で深い意味まで学ぶ。

という順番を大事にしていました。
7〜8歳で完璧に「音(フレーズ)」を
脳に染み込ませておき15歳を過ぎてから「講釈(意味の解説)」を聞くことで、「あ、あの時の言葉はこういう意味だったのか!」とパズルのピースがハマるように深く理解できました。

という超実戦的なアプローチです。

江戸時代の教育や学習方法は、現代の「みんなで同じ教科書を広げて、先生の授業を一斉に聞く」というスタイルとは180度違っていて、今見るとめちゃくちゃ面白い工夫やシステムが満載です。

なぜお金にならないのに教えたのかというと、
江戸時代は「子どもにモノを教える人」に対する
リスペクトが凄まじかったからです。

身分がどれだけ低くても、寺子屋を開けば
地域中から「お師匠様」と崇められ、戸籍にも「知的職業人」として誇らしく記録されました。

つまり、先生というのは名誉職だったわけです。
とても健康的な社会構造だったと言えます。

2. 究極の個別指導

今の小学校は全員が同じ進度で進みますが、江戸時代の「寺子屋」は完全なる個別カリキュラムでした。

  • 寺子屋の教室に入ると、子どもたちは全員違うテキスト(往来物)を開いています。八百屋の子は「商品の名前や帳簿の付け方」、武士や教養層の子は「歴史や漢文」、大工の子は「図面や建築の言葉」といったように、「将来、その子が確実に使う言葉」だけをオーダーメイドで学んでいました。
  • お師匠さん(先生)は、生徒を1人ずつ自分の机の前に呼んで、その子の進度に合わせてマンツーマンで指導します。自分の番が終わったら、席に戻ってひたすら自習。一斉授業ではないため、落ちこぼれが生まれない見事なシステムでした。

3. 身分を超えた

先生はほぼボランティア!
「お師匠さん」のモチベーション



実は、世界一の識字率を誇った江戸時代の東京(江戸)にも、現代の私たちと全く同じように、本を読んで感情を爆発させ、それを仲間と共有し合う素晴らしい文化がありました。

当時、若者たちが何よりも熱狂したのが「会読(かいどく)」と呼ばれる読書会です。

当時は厳しい身分社会(士農工商)でしたが、この「会読の場」に限り、身分制度は完全に無効化されました。武士も町人も小作人も、ひとつの机を囲んで同じ本を読み、「私はこう思う」「いや、その解釈はおかしい」と、知識と論理だけで対等にガチンコの議論を戦わせていたのです。

幕末の志士たちを育てた松下村塾や適塾でも、この読書会システムが教育の核でした。そして面白いことに、さんざん知的な議論をした後は、みんなで酒を飲みながら「さっきのあいつの意見は凄かったな!」と夜通しワイワイ語り合う。それが当時の若者にとっての「最高に知的で粋なエンターテインメント」だったのです。

それこそ、読書会のような雰囲気の中で
幕末の志士たちは育まれてきたと言えます。

1. ルールは「身分不問」。完全にフラットな空間

江戸時代は厳しい士農工商の身分社会でしたが、
一歩「会読(読書会)」の部屋に入ると、
その身分制度は完全に無効化されました。

当時の「会読(読書会)」では、
武士、町人、小作人、医者、学生がひとつの机を囲み、同じ本を前にして対等に議論を交わしました。

たとえ相手が身分の高い武士であっても、
意見が間違っていれば、身分の低い町人が
「いや、その解釈はおかしい。なぜなら〜」と
堂々と論破することが許されていたわけです。

これがなかなかに面白かったらしく、
例えば、身分の低いものが身分の高いものを
論破した時などは大いに盛り上がったそうで、

知識や論理的思考力だけでガチンコ勝負ができるため、当時の若者にとっては「身分を忘れて自分を証明できる、最高にシビれる場所」だったらしいです。

2. 幕末の志士たちを育てた、私塾の「会読システム」

教科書でも有名な、吉田松陰の「松下村塾」や、緒方洪庵の「適塾」(福沢諭吉らが学んだ場所)でも、教育の核となっていたのは先生の授業ではなく「生徒同士の読書会(会読)」でした。

  • 当時のやり方: あらかじめ決められた本(歴史書や西洋の医学書など)の数ページを各自が予習して集まります。 当日、くじ引きで選ばれた「会主(プレゼンター)」が、そのページを読み上げて自分の解釈を発表します。それに対して、周りの参加者が「異議あり!」「私はこう思う」と徹底的に質問や議論をぶつけ合うスタイルです。
  • 福沢諭吉の思い出話(『福翁自伝』より): 福沢諭吉がいた適塾の読書会は、あまりにも白熱しすぎて、毎度つかみ合いの喧嘩寸前になるほどの熱量だったそうです。「議論に勝ちたいから、みんな寝る間も惜しんで必死に本を予習した。あの切磋琢磨が自分を育てた」と振り返っています。

3. 終わった後は居酒屋へ!?「会読のあとの飲み会」

これも面白いものですが、
ディベートの席はディベートの席。
それが終われば皆同じ志の仲間。という
公私を分けることも意識していたようで、

真面目な読書会のあとには、
お楽しみの「懇親会(直会:なおらい)」が
セットになっていたそうです。

  • お寺の境内や、私塾の一室、あるいは町屋の座敷でさんざん知的な議論を戦わせたあと、酒と肴(さかな)が運び込まれます。
  • そこからは打って変わって、「さっきのあいつの論破は凄かった」「あの本のあの表現はシビれたね」と、本を肴にワイワイと飲む、ただの楽しい宴会に突入します。
  • この「知的で真面目なディスカッション」と「その後のフランクな交流」のギャップが心地よくて、多くの人が読書会の虜になっていきました。

当時の日記や随筆を覗くと、現代の私たちがSNSに書き込んでいるような「推し活の叫び」や「辛口レビュー」と全く同じ熱量があって非常に親近感が湧きます。いくつか面白いものをピックアップしました。

1. 『南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん)』 / 曲亭馬琴(きょくていばきん)

「仁・義・礼・智」などの文字が浮かび上がる
不思議な珠(たま)を持つ8人の若者たちが、
運命に導かれて集結し、
悪と戦うスペクタクル巨編です。

現代のライトノベルや冒険活劇の
走りとなる作品ではないでしょうか。

完結までにかかった月日はなんと28年。
新刊が出るたびに貸本屋へ注文が殺到!
読者は本当に狂わんばかりの熱狂ぶりでした。

その熱狂ぶりは読者からの感想にも表れていて、

  • あまりに続きが気になりすぎて、「早く続きをくれ!」と著者に直談判

    「次はどうなるんですか!?」
    「あのキャラは死なせないでください!」
    と手紙を送ったり、著者の曲亭馬琴の家に
    直接押し掛けたりするファンが続出しました。
  • ある女性ファンの日記(『苦楽日記』などより) 「八犬伝の新刊が貸本屋から届いた。胸がドキドキして家事が手につかない。夜、灯油を贅沢に継ぎ足しながら一気に読んだ。親兵衛(キャラクター名)が格好良すぎて、夢にまで出てきそうだ。読み終わってしまい、次の巻が出るまでどうやって生きればいいのか分からない」

などと、現代風に言うと
「推しが尊すぎる」「次巻まで生きる糧がない」
という、当時から日本人は漫画やアニメ好き
だったことが分かります。

現代の『ONE PIECE』や『ドラゴンボール』の
ようなジャンプ系王道バトルのルーツであり、
読者は「次の巻はまだか!」と悶絶しながら
待っていたと言われています(笑)

2. 『東海道中膝栗毛』(とうかいどうちゅうひざくりげ) / 十返舎一九(じゅっぱんしゃいっく)

お調子者のコンビである「弥次さん(やじさん)」と「喜多さん(きたさん)」が江戸から伊勢神宮を目指して東海道を旅するお笑い道中劇です。

行く先々で美女にフラれたり、
宿屋でドジを踏んだりする2人の姿が江戸っ子に
大ヒット!当時の旅ブームの火付け役になりました。

あまりの大ヒットに様々な反応があったようで

  • 庶民たちの「聖地巡礼」ブーム が巻き起こる
    なんと当時から聖地巡礼はあったようで、
    「弥次さん喜多さんが泊まった宿はここか!」「作中で食べていた名物の団子を自分も食べよう」と、本を片手に東海道を旅することが
    流行ったり、
  • 知識人からの辛口レビュー(随筆『半日閑話』などより)
    「弥次と喜多の行動は下品でくだらないダジャレばかりだ。なぜ街の人間があれほど大騒ぎして読んでいるのか理解に苦しむ。世も末だ」

    現代風に言うと、 Amazonレビューの
    「星1:中身がペラペラで下品です」という
    批判的な書き込みそのものです。

    いつの時代も、好きな作品を楽しんだり、
    大衆向けのエンタメは知識人に叩かたり、

    と今も昔も変わらない反応が垣間見えました。
    なんだかほっこりしますね( *´艸`)

3. 『解体新書』への知識人の驚愕:ネットを揺るがす「神バズ」

医学の常識をひっくり返した『解体新書』が
出た時の、一流の学者たちの興奮も
記録されています。

どんな本?: オランダの医学書『ターヘル・アナトミア』を、気の遠くなるような苦労の末に日本語に翻訳した、日本初の本格的な西洋解剖学の解説書です。

江戸での熱狂ぶり: 「人間の内臓は、東洋医学の図とはまったく違うリアルな構造をしていた!」という事実は、知識人や医療関係者に凄まじい知的興奮(カルチャーショック)を与えました。高価な本だったにもかかわらず、日本の「蘭学(西洋の学問)ブーム」を一気に爆発させた伝説の1冊です。

  • 当時の著名な学者・大槻玄沢(おおつきげんたく)の言葉

    「この書が世に出た時、我々知識人の脳天に雷が落ちたような衝撃が走った。これまで信じていた古い医学の教科書が、いかに曖昧な絵空事であったかを思い知らされ、ただただ呆然とするしかなかった。これは医学の歴史が完全にひっくり返る大事件だ」


    現代風に言うと: 最先端テクノロジー(AIの登場など)に触れた技術者が「世界が変わるのを目撃した……」とX(旧Twitter)で大バズりしているような、圧倒的な知的興奮が伝わってきます。

4. 番外編:著者側の「あとがき(言い訳)」も面白い

曲亭馬琴は『八犬伝』の途中で、過労と高齢が原因で両目を失明してしまいます。しかし諦めず、息子の嫁(お路)に文字を代筆させて完結させました。その最終巻の「あとがき」が感動的でありつつ、ちょっと人間味に溢れています。

  • 曲亭馬琴のあとがき(大要) 「私は目が完全に見えなくなり、この物語を完結させるのは不可能だと思った。しかし、全国の読者が『八犬伝の結末を見るまでは死ねない』と言ってくれていると聞いた。だから私は、目が見えない中で文字を嫁に書いてもらい、執念で完成させた。……ただ、嫁は漢字が苦手で私の口頭の指示を何度も間違えるので、めちゃくちゃ苦労したし、喧嘩もたくさんした(笑)」現代風に言うと: 長期休載から復帰した漫画家が「体調不良でご心配をおかけしました。アシスタントと揉めながらもなんとか最終回を描けました!」とファンに向けて裏話を語るような、エモーショナルで泥臭いあとがきです。

2. 【自己啓発・生き方論】町人の心を震わせたマインドセット

『都鄙問答(とひもんどう)』 / 石田梅岩(いしだばいがん)

  • どんな本?: 当時、身分制度の最下層として軽視されがちだった「商人(町人)」たちに向けて、「ビジネスで正当な利益を得ることは、武士が領地をもらうのと同じくらい尊いことだ。誇りを持て!」と説いた、日本最古級のビジネス自己啓発書(石門心学)です。
  • 江戸での熱荒ぶり: 武士に対する劣等感を抱えていた町人たちの心に火をつけ、大ベストセラーになりました。「誠実に生きる」「仲間を大切にする」といった道徳とビジネスの両立を説いた内容は、現代のビジネス倫理の教科書としても通用するクオリティです。

4. 【実用書・マンガ】ビジュアルで直感的に楽しむ

『北斎漫画(ほくさいまんが)』 / 葛飾北斎(かつしかほくさい)

  • どんな本?: 天才絵師・葛飾北斎が、人間の喜怒哀楽の表情、動物、妖怪、職人のポーズから建物の構造まで、この世のあらゆるものを描きまくった「絵のポーズ集・スケッチ集」です。
  • 江戸での熱狂ぶり: 文字を読まなくてもパラパラめくるだけで圧倒的に面白いため、子どもから大人まで大ヒットしました。さらに、当時の若い絵師や職人たちにとっては「これを見れば何でも描ける最高のデザイン参考書」として重宝されました。後年、ヨーロッパに渡って印象派の画家たちにも衝撃を与えた、世界的な名著です。

江戸のベストセラーに共通すること これらを見てん分かるとおり、江戸時代の人々が熱狂したのは「お堅いお勉強」ではなく、**「心をワクワクさせるエンタメ」や「明日からの生き方に自信をくれる言葉」**でした。

現代の私たちが本を手に取る理由と、驚くほど何も変わっていませんよね。

江戸時代の人々も、本を読んでは「泣いた」「笑った」「これは神作」「これは駄作」と、今の私たちと全く同じように感情を爆発させて共有し合っていたことが分かります。

こうした「読後の熱量を誰かに伝えたくてたまらない!」という人間の本能から、江戸時代の「会読(読書会)」というカルチャーが育っていったんですね。

江戸時代に大ベストセラーとなり、街中で奪い合うように読まれていた有名本をジャンル別にご紹介します。

当時は「貸本屋」がボロボロになるまで長屋の住人たちに回し読みさせていたため、現代のミリオンセラーを遥かに凌ぐ熱狂ぶりでした。今見ても「現代のエンタメの源流」がすべてここにあることが分かります。

2. 読書がベースの寺子屋教科書「往来物(おうらいもの)」

寺子屋で使われていた教科書は「往来物」と呼ばれますが、これが実に見事な「読本(よみもの)」でした。

  • 中身は、単なる文字の練習帳ではありません。「手紙のやり取り(往復書簡)」のストーリー仕立てになっており、読んでいるうちに自然と当時の地理、歴史、法律、商売のノウハウが頭に入る仕組みになっていました。
  • 子どもたちは、面白い物語を「読む(読書する)」感覚で教科書をめくり、それをそのまま白紙に「写す(習字)」ことで、読み書きと実用的な知識を同時にマスターしていったのです。

まさにその通りです。江戸時代における日本の驚異的な識字率と教育水準は、制度というよりも、完全に「読書というカルチャー」が支えていました。

学校で強制的に勉強させられていたというよりは、現代の私たちがスマホを見るような感覚で、当時の人々は当たり前に「本を消費し、楽しんでいた」のです。

当時の読書カルチャーがどれほど成熟していたのか、思わず誰かに話したくなるような面白いエピソードをいくつかご紹介します。

1. 現代のサブスク!?街を巡る動く図書館「貸本屋(かしほんや)」

今でこそ、レンタルDVDやレンタルブックなどが
流行り、そして廃れつつありますが、

なんとそのシステムは
江戸時代から確率されていました。

江戸時代、本はすべて手作りの木版画(木版印刷)だったため、買うと非常に高価でした。そこで
爆発的に普及したのが「貸本屋」です。

  • 貸本屋は、大きな風呂敷に数百冊の本を包んで背負い、家から家へと御用聞きのように巡回していました。
  • 料金は現代の価値で1冊あたり数十円〜100円程度。超格安で最新のエンタメ小説やマンガ(浮世絵草紙など)が読めたため、江戸の町だけで数千人もの貸本屋が走り回っていたと言われています。
  • 武士から長屋の八百屋、長屋のおかみさん、子どもまで、あらゆる階層の人がこの「サブスク(巡回レンタル)」を利用して、日常的に読書を楽しんでいました。

ディベート大会「会読・輪読(かいどく・りんどく)」

素読を終えた少し年上の若者たちが熱狂したのが、この「会読」という読書会スタイルです。

  • ひとつのテキストを囲み、ある参加者が「私はここをこう解釈します」と発表すると、周りの参加者が「いや、その解釈はおかしい」「私はこう思う」と徹底的に議論(ディベート)を交わします。
  • 面白いのは、当時の厳しい身分制度(士農工商)が、この「会読の場」に限り、完全に無効化されたことです。たとえ身分の低い町人であっても、鋭い意見を言えば武士を論破してヒーローになれました。あまりに白熱するため、当時の若者にとって最高のインテリジェント・エンターテインメントだったようです。

4.

「面白い本を読みたい、世の中の楽しい情報にアクセスしたい」というワクワクする『結果の行動』をみんなで真似し、追いかけた。 その結果として、世界一とも言われる高度な教育社会が勝手に出来上がってしまったのです。

こうした知的好奇心による学習能力の向上
というのは現代の教育でも必要な考え方なのでは
ないのではないでしょうか?

読まなくてはならない。から
読みたくてしょうがない!という
モチベーションが自然と生まれていた
環境というのは

読書離れが進むわれわれ現代人からすれば
学ぶべきところもあるのかもしれませんね

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