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【投稿No.10】江戸時代にもあった読書会をチラ見・To・The・Future!

目次

はじめに

265年も続いた江戸時代。そんな江戸時代の
名誉ある世界記録を知っていますか。
それは世界トップの識字率です。

当時、日本の識字率は同時代のロンドンやパリを遥かに凌ぐ世界最高水準(江戸の成人男性で70%超とも)だったと言われています。

そんな高い識字率を支えていたのが
実は読書の存在でした。今日は江戸時代の
読書風景を少し覗いてみましょうか。

文化教養の普及

争いの時代も終わりを告げて平和な時代となり
大衆も趣味が持てる余裕が生まれたのが
この江戸時代です。

相撲や歌舞伎、落語に瓦版(ニュース)
滑稽本(お笑い小説)などが大流行り、

さまざまな知的文化が花開きましたが、
ゆえにある程度の教養がないと文化を楽しめない
時代にもなったのです。

そのため、親たちは
「自分の子どもが流行りに乗れるように。
騙されたり、恥ずかしい思いをしないように。」

と、進んで寺子屋、つまり当時のフリースクール
へ通わせ、家でも本を読ませていました。

子を想うからこその親心が
実は高い識字率を維持していたのかもしれませんね

寺子屋という学びの場の普及

当時の教育は、世襲身分社会で、
いわゆる現代のような義務教育的な学校で
きちんと教養を学べるのは武士を中心とした
上流階級のみでした。

じゃあ、下々の平民は学ぶ場が無かった。
といえばそんなこともなく、

当時から現代のフリースクールに
あたる「寺子屋」と呼ばれる私営の学び場は
全国に1万5,000〜2万箇所もあったとされ、

いわゆる平民の子供たちはそこで
読み書きを学んでいたとされています。

寺子屋ですが、その名の通り、
お寺などで僧侶から読み書き算盤を習ったり、
現役の町医者、あるいは引退した役人などが
ほとんどボランティア(または格安の謝礼)で
教えていました。

なぜお金にならないのに教えたのかというと、
江戸時代は「子どもにモノを教える人」に対する
リスペクトが凄まじかったからです。

身分がどれだけ低くても、寺子屋を開けば
地域中から「お師匠様」と崇められ、戸籍にも「知的職業人」として誇らしく記録されました。

つまり、先生というのは名誉職だったわけです。
先生とは無償で教養を教えてくれる
素晴らしい人であるから敬おうよ。

先生たちも立派な人だと周りが尊敬してくれるから、無償や格安でもしっかりと子どもたちの面倒みようと思える。

というなんとも、リスペクトで成り立つ
健康的な社会構造だったとも言えます。

江戸時代の庶民教育

そんな寺子屋の教育は、「読み書き算盤」という
言葉が現代に残っているように、読めて書けて計算ができることを重視していました。

それに加えて、儒教をベースとした
道徳や倫理観、礼節なども学んだとされていますが

寺子屋の面白いところは、フリースクールゆえに
完全なる個別カリキュラムでした。

寺子屋の教室に入ると、子どもたちは全員違う
教科書を開きます。この教科書のことを
「往来物(おうらいもの)」といって、

原形は実際に往来、つまり、
郵便として出された手紙や依頼書の中身を
教科書として使ったもので、たとえば、

農民の子:
農業の年中行事や道具の名前、
作物の育て方が記された『百姓往来』。
商人の子:
商品名、貨幣の種類、利息の計算、
商売の心得が詰まった『商売往来』。
都市部の子:
江戸などの地名や方角、名所を網羅した
『江戸往来』などの地理書。

といった風に、「将来、その子が確実に使う言葉」だけをオーダーメイドで学んでいました。

往来物の優れた点は
「手紙のやり取り(往復書簡)」がストーリー仕立てになっており、

読んでいるうちに自然と当時の地理、歴史、法律、商売のノウハウが頭に入る仕組みになっていました。

お師匠さん(先生)は、そういった往来物を読んでいる生徒を1人ずつ自分の机の前に呼んで、

その子の進度に合わせてマンツーマンで
指導します。自分の番が終わったら、
席に戻ってひたすら自習。

一斉授業ではないため、
落ちこぼれが生まれない見事なシステムでした。

読書教育の3段階

特に読書教育に関しては、文字を読めないと
その後の学びもままならないうえに、

本から感じ、学ぶことは多いためか
3段階に分けた教育システムとなっていました。

①意味は後回し!「素読(そどく)」

江戸時代の勉強の基本中の基本が
この「素読」です。

これは、『論語』などの高度な漢文を、
「意味はまったく教えずに、
ただひたすら声に出してリズムで丸暗記する」
という方法です。

言ってしまえば丸暗記という学習方法です。
「意味が分からないのに覚える意味があるの?」

と、そう思うことでしょうが、
これはこれである一定の効果がありました。

みなさんも九九を数字の理解もつかないままに
丸暗記した方もいると思いますが

それと同じです。
とりあえず呪文のように唱えれば
意味は分からないが答えることはできる。

そういう理屈の学習方法で、
最短でアウトプットができるところまで
基礎能力を引き上げようという名目で
使われたのがこの素読という学習方法でした。

②意味を先生が伝授。「講釈(こうしゃく)」

体やあるいは無意識レベルにまで
リズムとして知識を叩きこんだ後に行われるのが
この講釈(こうしゃく)でした。

意味も分からず、覚えたけれど、
この言葉の意味は何なんだろう?

と少し、自我や関心が芽生える少年あるいは青年期に行われる現代でいう一斉授業や講義です。

一定年齢を過ぎて後から、
「講釈(意味の解説)」を聞くことで、
「あ、あの時の言葉はこういう意味だったのか!」とパズルのピースがハマるように深く理解できたのだと思います。

③激論ディベート!「会読(かいどく)」

江戸時代の教育のすごいところは
教育がただのインプットだけに止まらなかった点です。

単語を覚えて、意味を教えてもらった。
ヨカッタネ。だけではなく、

それを実際に自分のものとしたときに
「きみはどう思ったか?」を

アウトプットするところまでが
江戸時代の教育の基本でした。

その代表的なものがこの読書による教育の
3段階目「会読(かいどく)」にも表れていて

「会読(かいどく)」では、
あらかじめ決められた本
(歴史書や西洋の医学書など)の数ページを
各自が予習して集まります。

当日、くじ引きで選ばれた
「会主(プレゼンター)」が、そのページを
読み上げて自分の解釈を発表します。

それに対して、周りの参加者が
「異議あり!」「私はこう思う」と

徹底的に質問や議論をぶつけ合う
ディスカッション、あるいはディベートを行う
現代でいうゼミのようなものが行われていました。

これにより、本で学んだ内容を
自身の頭、あるいは心で受け止めて

議論という形で様々な考え方とともに
深めていく。という何とも実践的な素晴らしい
学習方法だと思います。

「 会読(かいどく)」の熱狂的ブーム

この「会読(かいどく)」は、
教育の場だけに止まらず、

江戸時代の若者たちでも身分を超えた
一種のエンタメ的なブームを起こしました。

なぜか。当時は厳しい身分社会(士農工商)
で、本来なら武士と町民が並んで座るなど
切り捨てごめんとなるようなものでしたが

この「会読の場」に限り、
身分制度は完全に無効化されたおり
誰でも参加できるようになっていたからです。

実は、さきほどの
『素読(そどく)』『講釈(こうしゃく)』『会読(かいどく)』のうち、町人や庶民が学べるのはせいぜい、『素読(そどく)』までだけ。

『講釈(こうしゃく)』『会読(かいどく)』まで
受けられるのは限られた階級のみでした。

しかし、教育の場以外でも、
例えば現代でいうサークルや文化倶楽部という形で
『会読(かいどく)』を行うイベントが
よく町でも行われていました。

こういった場での会読では
お互いの立場は無礼講。

武士、町人、小作人、医者、学生も、
ひとつの机を囲んで同じ本を読み、
「私はこう思う」「いや、その解釈はおかしい」と、知識と論理だけで対等に
ガチンコの議論を戦わせていたのです。

たとえ相手が身分の高い武士であっても、
意見が間違っていれば、身分の低い町人が
「いや、その解釈はおかしい。なぜなら〜」と
堂々と論破することが許されていたわけです。

これがなかなかに面白かったらしく、
例えば、身分の低いものが身分の高いものを
論破した時などは大いに盛り上がったそうで、

知識や論理的思考力だけでガチンコ勝負ができるため、当時の若者にとっては「身分を忘れて自分を証明できる、最高にシビれる場所」だったらしいです。

如何に論を持して相手の論に打ち勝つか!
そういったゲームとしてのディスカッションを
楽しんでいたのかもしれませんね(∩´∀`)∩

終わった後は居酒屋へ!?
「会読のあとの楽しい飲み会」

これも面白いものですが、
ディベートの席はディベートの席。
それが終われば皆同じ志の仲間。という
公私を分けることも意識していたようです。

その証拠に真面目な読書会のあとには、毎回、
お楽しみの「懇親会(直会:なおらい)」が
セットになっていたそうです。

お寺の境内や、私塾の一室、あるいは町屋の座敷でさんざん知的な議論を戦わせて白熱したあとは
一旦、お開き。当日の議論のまとめをすれば、
酒と肴(さかな)が運び込まれます。

そこからは打って変わって、
ただの楽しい宴会に突入します。

「さっきのあいつの論破は凄かった!!」
「あの本のあの表現はシビれたね!」と、

みんなで酒を飲みながら夜通しワイワイ語り合う。それが当時の若者にとっての「最高に知的で粋なエンターテインメント」だったのです。

この「知的で真面目なディスカッション」と
「その後のフランクな交流」のギャップが心地よくて、多くの人が会読の虜になっていきました。

そんな会読の虜になったのは実は若き日の
幕末の志士たちも例外ではありませんでした。

教科書でも有名な、吉田松陰の「松下村塾」や、
緒方洪庵の「適塾」(福沢諭吉らが学んだ場所)
でも、

教育の核となっていたのは先生の授業ではなく「生徒同士の読書会(会読)」だったそうで、
その証拠に、そのうちの一人である福沢諭吉も

「議論に勝ちたいから、みんな寝る間も
惜しんで必死に本を予習した。
あの切磋琢磨が自分を育てた」

と振り返っています。
己の考え方をぶつけ合い楽しみあう。
そんな熱い楽しみ方ができていたのは、

今となっては衝突を避け過ぎて
自分の中で抱え込んでしまう日本人の
僕からしても少しうらやましいところでは
あります(‘_’)

当時の人気本レビュー5種

と、ここまで教育としての読書を書いてきましたが
高い識字率を誇ったのは教育システムがしっかりとしていたからだけではありません。

江戸時代には字を学んででも読みたくなる
話題作がずらりとありました。

当時の日記や随筆を覗くと、
現代の私たちがSNSに書き込んでいるような

「推し活の叫び」や「辛口レビュー」と
全く同じ熱量があって非常に親近感が湧きます。
いくつか面白いものをピックアップしましたので
ご紹介しましょう!

1. 『南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん)』 / 曲亭馬琴(きょくていばきん)

8人の若者が「仁・義・礼・智」などの文字が浮かぶ不思議な珠(たま)に導かれて悪と戦うスペクタクル大巨編!

現代でいう『ONE PIECE』や『ドラゴンボール』のようなジャンプ系王道バトルものの走りであり

完結までにかかった月日はなんと28年。
新刊が出るたびに貸本屋へ注文が殺到!

その熱狂ぶりは読者からの感想にも表れていて、あまりに続きが気になりすぎて、
「早く続きをくれ!」と著者に直談判!(笑)

「次はどうなるんですか!?」
「あのキャラは死なせないでください!」

と手紙を送ったり、著者の曲亭馬琴の家に
直接押し掛けたりするファンが続出する程でした。

また、女性ファンも根強くいたようで

「八犬伝の新刊が貸本屋から届いた。
胸がドキドキして家事が手につかない。

夜、灯油を贅沢に継ぎ足しながら一気に読んだ。親兵衛(キャラクター名)が格好良すぎて、
夢にまで出てきそうだ。

読み終わってしまい、次の巻が出るまで
どうやって生きればいいのか分からない!」

ある女性ファンの日記(『苦楽日記』)
などでも記載が残っています。

現代風に言うと「推しが尊すぎる!!」
「次巻まで生きる糧がない!!」と、
当時から日本人は漫画やアニメ好き
だったことが分かりますね( *´艸`)

2. 『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』 / 十返舎一九(じゅっぱんしゃいっく)

江戸時代のコメディと言えばこれは外せませんね。

お調子者のコンビである「弥次さん(やじさん)」と「喜多さん(きたさん)」が江戸から伊勢神宮を目指して東海道を旅するお笑いドタバタ道中劇です。

行く先々で美女にフラれたり、
宿屋でドジを踏んだりする2人の姿が
江戸っ子に大ヒット!

そのヒットはとてつもないもので、
「弥次さん喜多さんが泊まった宿はここか!」
「作中で食べていた名物の団子を自分も食べよう」

と、本を片手に東海道を旅することが大流行り!
そう!なんと庶民たちの「聖地巡礼」ブーム が巻き起こるほどでした( ´∀` )!

当時から、やはり、日本人は実はミーハーかつ、
オタク気質だったのかもしれませんね(笑)

3. 『解体新書(かいたいしんしょ)』/杉田玄白(すぎたげんぱく)

当時から新しい学術や見解がもたらされたのも
本からというのが多かったようです。

医学の常識をひっくり返した『解体新書』が
出た時の、一流の学者たちの興奮も
記録されています。

どんな本?:
オランダの医学書『ターヘル・アナトミア』を、気の遠くなるような苦労の末に日本語に翻訳した、日本初の本格的な西洋解剖学の解説書です。

江戸での熱狂ぶり:
「人間の内臓は、東洋医学の図とはまったく違うリアルな構造をしていた!」という事実は、

知識人や医療関係者に凄まじい
知的興奮(カルチャーショック)を与えました。

高価な本だったにもかかわらず、
日本の「蘭学(西洋の学問)ブーム」を
一気に爆発させた伝説の1冊で、

そのときのインパクトは当時の著名な学者である
大槻玄沢(おおつきげんたく)の言葉にも
表れています。

「この書が世に出た時、我々知識人の脳天に
雷が落ちたような衝撃が走った。
これまで信じていた古い医学の教科書が、
いかに曖昧な絵空事であったかを思い知らされ、ただただ呆然とするしかなかった。
これは医学の歴史が完全にひっくり返る大事件だ。」


最先端テクノロジー(AIの登場など)に触れた
技術者が「世界が変わるのを目撃した……」と

X(旧Twitter)で大バズりしているような、
圧倒的な知的興奮が伝わってきますね(/・ω・)/

4.『都鄙問答(とひもんどう)』 / 石田梅岩(いしだばいがん)

江戸時代でも自己啓発本というのは
よく売れたもので人気がありました。

もちろん、中国が生み出した古典『論語』も
数々の偉人や教養としてマストでしたが、

やはり、時代が進むと細分化も進み、
広義や大義としては人生の柱として役立つものの、

現場での、取り分け当時の商人の実態に
合ったものというのは少なかったようです。

そんな身分制度の最下層として軽視
されがちだった「商人(町人)」たちに向けて、

「ビジネスで正当な利益を得ることは、
武士が領地をもらうのと同じくらい尊いことだ。誇りを持て!」と説いた、

日本最古級のビジネス自己啓発書(石門心学)がこちらになります。

「誠実に生きる」「仲間を大切にする」といった
道徳とビジネスの両立を説いた内容は、
現代のビジネス倫理の教科書としても通用するクオリティで

「これまで、どこか武士に対して引け目を感じながら商売をしていたが、この本を読んで涙が出た。自分が一生懸命に商売に励むこと自体が、社会の役に立っている(天下の御用を務めている)のだと自信が持てた」

と、武士に対する劣等感を抱えていた町人たちの心に火をつけ、大ベストセラーになりました。

現代でも読んでみると生き方のヒントに
なり得るものが書かれており、

芯となるものは変わらないのだな。
と感じる部分があります。

5.『北斎漫画(ほくさいまんが)』 / 葛飾北斎(かつしかほくさい)

江戸時代には読み物だけでなく、
芸術も発達したためか画集も販売されました。

特に現代でいう絵画のポーズ集や絵の描き方を
学べる本も出たのが面白いところです。

  • どんな本?:
    天才絵師・葛飾北斎が、人間の喜怒哀楽の
    表情、動物、妖怪、職人のポーズから

    建物の構造まで、この世のあらゆるものを描きまくった「絵のポーズ集・スケッチ集」です。
  • 江戸での熱狂ぶり:
    文字を読まなくてもパラパラめくるだけで
    圧倒的に面白いため、子どもから大人まで
    大ヒットしました。

    さらに、当時の若い絵師や職人たちにとっては「これを見れば何でも描ける最高のデザイン参考書」として重宝されました。

    後年、ヨーロッパに渡って印象派の画家たちにも衝撃を与えた、世界的な名著です。

「北斎の描く人間は、みんな今にも動き出しそうだ。おっさんがおならをして周りが鼻をつまんでいる絵や、デブが相撲をとっている絵、幽霊がドジを踏んでいる絵など、どれも滑稽で、ページをめくるたびに家族みんなで大笑いしている。文字がないのに、どんな小説よりも面白い」

と、当時のおそらく町民、庶民のレビューでしょうね(笑)とはいえ、そういった層にまで

絵の楽しみかた、見せ方を描いた北斎は
実は日本漫画ポップカルチャーの祖を作った
人物なのかもしれませんね(笑)

現代のサブスク!?街を巡る動く図書館「貸本屋(かしほんや)」

と、まあ、ここまで江戸時代に大ベストセラーと
なった本を紹介してきましたが、

全員が全員、本を買えたかというと
そうでもありません。
当時の本というのはとても高価な物でした。

現代でいうと1冊、
5千円くらいの感覚でしょうか。

もちろん、今と違って物に溢れていない時代。
そんな本を何冊も買う余裕は庶民にありません。
そこで爆発的に普及したのが「貸本屋」でした。

貸本屋は、大きな風呂敷に数百冊の本を包んで
背負い、家から家へと御用聞きのように
巡回していました。

料金は現代の価値で
1冊あたり数十円〜100円程度

超格安で最新のエンタメ小説やマンガ
(浮世絵草紙など)が読めたため、

武士から長屋の八百屋、長屋のおかみさん
、子どもまで、あらゆる階層の人が
利用して、日常的に読書を楽しんでいました。

江戸の町だけで数千人もの貸本屋が
走り回っていたほど人気だったようです。

今でこそ、レンタルDVDやレンタルブックなどが
流行り、そして廃れつつありますが、

なんとそのレンタル事業システムは
わたし達が思いつく、はるか前の江戸時代から
形を変えて存在していたわけです。
これは驚きますね。

おわりに

いかがだったでしょうか。
ここまで江戸時代の読書文化を書いてきましたが
今も昔も変わらない人の姿に驚かれたと思います。

素読(そどく)という文字の通りに
読書が教育の根本であったこと、

そして、当時から日本人は読み物が
好きだったこと、

そして、何より江戸時代の当時から
『会読(かいどく)』あるいは『輪読(りんどく)』
という形で読書会が存在していたことに驚きました。

読まなくてはならない。ではなく、
読みたくてしょうがない!という
モチベーションが自然と生まれていた
環境というのは

読書離れが進むわれわれ現代人からすれば
学ぶべきところもあるのかもしれませんね

そういった本を楽しむぞ!という気持ちが
結果的にもしかしたら世界最高峰の識字率を
繋がるのかもしれない。

学びというのは楽しむところから
生まれるのかなと江戸時代の先人から
学んだような気がします。

そんな読書会Tokyoはかつての江戸、都内で
読書会の活動を行っています


よかったら皆さんも江戸時代に思いを馳せて
一度お気軽にご参加ください。

会読(かいどく)をいつかできたらいいですね
( *´艸`)

以上、今日もお読みいただき
ありがとうございます!
読書会Tokyoでした!

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