あきひろ今日はゴリラの話をしようと思います。



おいおいゴリラかよ。
たのしみだぜ。
Koko the Gorilla
というわけで、今回はゴリラのお話しです。


1. 「花火の子」が生まれた日
1971年7月4日、アメリカ独立記念日の夜。
サンフランシスコ動物園で
とあるメスゴリラが生まれました。
名前は「ハナビコ(花火子)」。
そう日本の花火です。
” name the baby gorilla “という
公募のコンテストでアメリカ独立記念日を
祝して打ちあがる花火から名付けられました。
名は体を表すもの。このゴリラは、
その名の通り、やがてそれまで暗かった人々の
「動物観」を色鮮やかに塗り替えていきます。
2. ゴリラと運命の出会い
ハナビコが「ココ」として
有名になるきっかけは、
とある一人の女性との出会いでした。
フランクリン・ペニー・パターソン博士
(英)Francine “Penny” Patterson
スタンフォード大学の博士課程のため
サンフランシスコ動物園で働いていました。
博士課程のプロジェクトは世界でも初となる
「ゴリラの言語能力のキャパシティの研究」
その研究の一環としてパターソンは
実験的に”あるもの”を教えていました。
そう、それがASL(American Sign Language)
北米で広く使われている手話でした。
3.手話で話すゴリラの誕生
実験として始めたこの手話のトレーニング
しかし、ハナビコの吸収力は目を見張るものでした。
ハナビコは学んだ手話を使って頻繁に感情やものを表現しようとしてきたのです。
「赤」、「リンゴ」、「ほしい」など
片言ではありますが、
着実に手話を理解していくハナビコ。
その学習力を物語るものとして
「指輪(Ring)」のエピソードがあります。
彼女は当初、「指輪( Ring )」という言葉を
知りませんでした。
そこで工夫をしたのか、
「指(Finger)」と「ブレスレット(Bracelet)」を組み合わせて表現したそうです。
そんな手話を次々と覚えていき、
積極的に交流を図ろうとしてくるに
パターソンは期待を膨らませます。
4.「ゴリラ・ファウンデーション」創設
そんな期待はパターソンを
大きな行動に移させます。
ハナビコのスタンフォード大学への
移送を希望したのです。
もちろん、
サンフランシスコ動物園は反対します。
ゴリラはIUCNによって
近絶滅種とされてるくらいに希少な動物で、
繁殖を期待していたためです。
そこで、パターソン博士が立ち上げたのが、
「The Save Koko campaign」
(ココを救えキャンペーン)でした。
ココは動物園での生活に苦痛を感じているとして
全国から募金を募ったのです。
結果は大成功。
集めた大金と世論を味方に
法的にハナビコを譲り受けることとなりました。
さらに寄付金や助成金を元手に
非営利団体ゴリラ・ファウンデーションも
立ち上げ、ココの研究環境を整えていきます。
そうして満を持した環境でパターソン博士は
ASL(American Sign Language)を
さらに発展させて、
指が太く短いゴリラに合わせたゴリラ専用の手話、
「ゴリラ手話(GSL)」も編み出します。



なんたるパワーワード……
そのゴリラ手話も駆使して
さまざまな思想的な
質問も投げかける実験も行いました。
その質問と回答で有名なのが
以下のようなものです。
- 「幸せって何?」
-
「red, apple, eat」
(赤、リンゴ、食べる)
※好きなものを食べること、
と定義したと推測 - 「ゴリラは死ぬときにどう感じる?」
-
「Comfortable, sleep(心地よい、眠る)」
- 「いつゴリラは死ぬの?」
-
「Old age, disease(年とり、病気で)」
- 「死んだゴリラはどこへ行くの?」
-
「Comfortable, hole, bye
(快適な穴に、さようなら)」
いかがでしょう。
なかなか哲学的な回答ですよね。
ゴリラにも、
もしかしたら死生観ある可能性が
わかるエピソードです。
5.アメリカ全土へココが知れ渡る転機
そんな嘘か誠かの話も
次第に広まっていきました。
そしてきたる1978年、ココが7歳の時。
彼女が鏡を使って自分自身を撮影した写真が
ナショナルジオグラフィックの表紙を飾ります。
※一番最初の画像の写真を撮るゴリラです。
さらに同年、カンヌ国際映画祭で
彼女を取り扱った映画も上映。
ハナビコの愛称であった「ココ」。
その「ココ」の愛称が一気に広まり、
「 Koko the gorilla 」(ゴリラのココ)は
一躍、話題の”時のゴリラ”になりました。
6.ゴリラ、猫を飼う。
さらに彼女を有名にしたのは、
なんと猫を飼った事実です。
1983年のクリスマス。
12歳のココは猫を欲しがりました。
そこでおもちゃの猫を渡したところ、
手話で「悲しい」と伝えたらしいです。
それならば、と、1984年のココが13歳の
誕生日に数匹の子猫を渡しました。
ココに選ばせるように促したところ、
ココは尾の短いグレーと白の子猫を選びました。
ゴリラの握力は400kgを優に超えます。
誰もが子猫の心配をする中、
そんな心配をよそ目に
その子猫をまるで子を持つ母のように
大事に抱きかかえて撫でる姿がそこにありました。


7.ゴリラのマイケルとの別れ
ココの生涯を語る上で欠かせないのは、
彼女が示した「喪失への感性」です。
ココはその一生の中で
何度も辛い別れを経験します。
例えば、彼女にとって兄弟同様であった
ゴリラのマイケルとの別れもそうでしょう。


マイケルは幼いころから共に手話を学び過ごし
家族ともいえるの存在でした。
ココが世界で初めての手話で話すメスゴリラなら
マイケルは世界で初めて手話で話すオスゴリラというわけです。
当初、マイケルはココの伴侶として
期待されていましたが、幼いころから
一緒にいたためか、よき姉弟、
あるいは家族として暮らすようになります。
そして、マイケルもココと並ぶほど
よく話すゴリラでした。
新しい遊び場をもらったときには
「自分は良いゴリラで、幸せだ」とか、
気に入らない来客に対して
「バカなやつ」「あっちへ行け」といった
少し辛辣なサインを送ったり、
ココが失敗した時はどんな感情ですか?
という質問に対して、「ウケルwww」的な
回答もしたと逸話が残っています。



よくもわるくもアメリカの青年っぽいですね(笑)
そんな、からかい合いながらも仲の良かった
マイケルも27歳の時に心筋症で亡くなります。
彼が亡くなった時、ココは唇を震わせながら
「泣く(Cry)」と手話し、
その後6ヶ月間、笑うことはありませんでした。
今となっては当然ですが、
動物にも死に対す悲しみという感情があることが改めて再認識させられた瞬間だったのかもしれません。
8. 種を超えた交流
そんな暗闇に沈むココに笑顔を取り戻したのが、
俳優のロビン・ウィリアムズでした。




セオドアルーズベルト大統領の役でも有名


彼はマイケルの死に落ち込むココを訪れました。
タイミングが悪い時に来られたものだ。
という周囲の同情を気にすることもなく
ロビンは持ち前の明るさと愛嬌で
ココの懐に飛び込みました。
ロビンがココのお腹をくすぐると、
ココは声を立てて笑ったのです。
そればかりか、今度はココがロビンの
脇の下をくすぐり返し始めたのです。
驚くパターソン博士や周囲の職員たち。
それだけでなく、
ロビンの眼鏡が気になったのか、
ココは眼鏡を取り上げて
器用にも自分の顔にかけたり、
ロビンの財布の中身をチェックしたりと
楽しみながら交流していたようでした。
その姿をみてパターソン博士や周囲の職員は
今まで笑わなかったココが笑った。と
涙を流しながら笑ったと伝えられています。
二人の間には、種を超えた「交流」が
あったのかもしれません。
その証拠にココはロビンを
手話で「友達」と表現。
「まるで人間と話しているようだった。
彼女には大きな慈愛の心がある。」
と、逆にロビンもと語っていました。
しかし、ここでも辛い別れがやってきます。
2014年にロビンも難病に悩み、
この世を去ってしまうのです。
またしても、ココはロビンの死を理解すると、
手話で「泣く(Cry)」というサイン、そして、
自分を指して「女性(Woman)」という
サインも出しました。
飼育員によると、ココは非常に悲しい時に
「泣いている女性」という意味を込めて
これらのサインを組み合わせたそうです。
その感情の意味した通り、
その日の夕方、ココはかつてロビンと
楽しく笑い合い、くすぐり合って
遊んだお気に入りの場所に行きました。
彼女はそこで独り、とても静かに。
長い間座り込んでいたといいます。
その姿は、かつての楽しかった記憶を思い返し、友人を弔っているかのようでした。
9. 安らかなる眠り
そして、幾たびもの別れを経験して、
ロビンが亡くなった4年後。
2018年6月に後を追うかのように
ココ自身も46歳の長き一生を終えます。
ココはその生涯でなんと1000以上もの手話と
2000もの英単語を覚えていきました。



ぼくが覚えている英単語より多いかも……
その知能はゴリラ水準とはなりますが、
驚くべきことに人間の平均に近い
「IQ 70〜90」に達していたと言われています。
人間の平均が100と言われているので、
かなり高い数値ですよね。
それを表すエピソードに、さきほど登場した
尾の短いグレーと白の子猫を覚えていますか?


そうこの子猫です。「All Ball」
という名前なのですが、実は名付け親は
ココ本人で手話で名づけを行ったと言われています。
子猫に尻尾がなくまん丸だったため、
「All Ball」(まん丸ボール)なら
ネーミングセンスまで保持していることが伺えます。
また、ユーモアセンスをみせる高い知能が
あったことも伝えられています。
例えば、鳥の写真を見せられて、
「これは誰?」と聞かれると
「That me. Koko good bird.
(それは私。ココ、いい鳥)」
と、冗談で鳥の物まねをする
ジェスチャーも加えて答えたと伝えられています。
これが本当ならなんとも
面白い性格をしていたのではないでしょうか?
(*^^*)



ネーミングにユーモアまでセンスあるとは脱帽だぜ。
10. 真偽に対する批判
と、ここまで書いてきましたが
このお話にも批判はあります。
一つはそもそもココが
実際に意思の疎通まで出来ていたかが
不透明であるという批判です。



こんなすごいエピソードばかりなら疑いたくもなるわな。
理由は、パターソン博士の研究の大半が
閉鎖的なものであったことです。
ココの手話の大半はASLではなく
GSLで行われていました。
GSL。つまりゴリラ手話が
コミュニュケーションの大半を占めていましたが
成果の横取りや漏洩を守るためにか、当初、
GSLやその研究過程はごくわずかの関係者にしか
共有されていませんでした。
そのため、通訳者となるパターソン博士たちしか
ココやマイケルの意図を知ることが
できなかったのです。
結果的に、「ココはこう言っているわ!」と
伝えられても、それが本当にそうなのかを
誰にも判別することができない状況でした。
そこから、たしかにココは
何かを伝えようとしているが
- パターソンが都合良く解釈しただけではないか
- 果たして本当にそこまで深い意味なのだろうか
という疑念が残ったわけです。



まあ知りようがないなら
そうなるわな。
二つ目がそのやり方や研究方法の独善さです。
パターソン博士にはココを大事にしすぎるあまり
他をないがしろにする癖がありました。
例えば、職員に対しての扱いの雑さです。
それは、ゴリラファウンデーションの
スタッフの離職率の高さにも表れていました。
10名から20名という小さな組織の内、
9名以上ものスタッフが離れて訴訟にまで
発展しています。
組織の離職率は嘘をつきません。
そこに本当にやりがいや公平さが
あったなら人は職を辞めないからです。



離職率やばいところは
100%闇が深いからな。
実際、パターソン博士と共著を行っていた
ジャーナリストのユージン・リンデンでさえも
パターソン博士の研究は
科学的な物というよりは、
偏愛からなる母と娘の閉じた
クローゼットの世界。と批判しています。
よって、ココの手話による言語能力の
“解釈”や”主張”に関しては
ある程度の誇張があったこと、
そして、その研究方法に傲慢さがあったことは
否定できないと考えられます。
11. 批判に対する擁護
しかし、だからといって
パターソン博士は完全な悪人なのだ。
ココも実際は言語能力がなかっただ。
と言われると、議論の余地があると思います。
少し想像してみてください。
もし、自分の娘のように愛する存在が、
心を持って言葉を紡いでいると確信していたら。
そして周囲がその事実を確認することもなく
「単なる反射だ」と冷笑していたら。
まるでわが子をバカにされた気分になるのも
想像がつくはずです。
それと同じように、博士にとって、
研究結果を非公開にしたり、
自身やココを否定する職員を
ないがしろにしたりしたのは、
「ココの真の姿を知っているのは私だけ」という
疑心暗鬼に陥った末の孤独な防衛本能
だったのではないでしょうか?
それにココの言語能力も
なかったわけではありません。
さきほどのパターソン博士を
批判していたユージン・リンデンも
ココが自分の要求を伝えるために
手話を使いこなしていたこと。
特にストレスがない環境においては、
他の類人猿よりもはるかに多く物事を
伝えてきようとしていた事実を認めています。
つまり、実際問題としては、
ココが可能性に溢れた存在であったにも関わらず、
われわれ人類がその可能性を狭めてしまった。
という結論が妥当かと思います。
人の” 偏見 “や ” エゴ ” が未来を閉ざしてしまう。
そういった戒めの一面も
持っているのかもしれません。
まとめ
と、まあ話はずれましたが、兎にも角にも
「ココ」はそれまでのゴリラの狂暴な
イメージを大きく変えました。
私見にはなりますが、営業経験が長い私から見ても
残された動画や手話をしている動作を見ると
ただ、真似ているようには見えず
意思があるようにはみえます。
特に人と交流する姿やハグを求める姿からは
彼女の人が好きだという性格が表れています。
手話を使ってのコミュニュケーションの
度合には疑念が残るかもしれませんが
心を通じてのコミュニュケーションには
少なからず成功していたとわたしは考えます。
彼女が他の種族に思い遣りをもって接していた
心優しきゴリラだったのは間違いないと思います。
それに、パターソン博士のココに対する愛情も
本物ではあったのではないでしょうか。
たしかに博士とココが紡いだ物語は
科学としては「未完」だったのかもしれません。
しかし、40年以上も共に過ごし、
ココのことだけを想い、ココの能力を
信じた博士の愛情は紛れもなく事実です。
ココが遺した「LOVE」という絵。
そこには、たしかに充実感溢れる色味を感じます。
もし愛情とそれに対する感謝がなければ
このような絵を描くことができるでしょうか。
それに種を超えて言葉に表せない関係性を築いた
二人の46年間を、誰が否定できるでしょうか。
ココ、そして彼女を愛し抜いたペニー。
二人の間に流れた時間は、
今もあの夜空に上がる花火のように、
二人の心に消えない光を投げかけています。
「Bye」


以下、引用元です。
Cooper, M. C., & Schoedsack, E. B. (Directors). (1933). King Kong [Film]. RKO Pictures.
画像引用:映画ナタリー, 「パッチ・アダムス」, https://natalie.mu/eiga/film/132266 (参照 2026-05-07)
引用:海外ドラマNAVI, 「ロビン・ウィリアムズ、語り継がれる名演が映った『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密」特別映像解禁!」, https://dramanavi.net/articles/134339 (参照 2026-05-08)
引用:カラパイア 不思議と謎の大冒険,https://karapaia.com/archives/52170560.html/k-95df4eca-g
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